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坂東札所13番 金龍山・浅草寺、見どころや歴史を詳しく解説

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●浅草寺の歴史や見どころについて詳しく知りたい!
●浅草寺はどんなご利益があるの?パワースポットとしての浅草寺の魅力ついて知りたい!
●坂東札所13番や江戸三十三観音1番でもある浅草寺…ところで「坂東札所」や「江戸三十三観音」って何?

この記事はそんな方へ向けて書いています。

金龍山・浅草寺は、東京都内で最古の寺院であり、東京を代表する観光スポットの1つです。雷門や仲見世通りはあまりにも有名ですが、境内の奥には歴史ある魅力的なスポットが数多くあることは意外と知られていません。

そこでこの記事では、あらためて浅草寺の魅力を伝えるべく、浅草寺の歴史や見どころを画像付きで詳しく解説しています。さらにさらに浅草寺周辺の歴史スポットについても紹介していますので、この記事を読むことで浅草観光をもっと楽しむことができますよ♪

管理人
管理人
秩父札所巡りお先達の当サイト管理人が、実際に浅草寺に行った際に撮影した画像と共に解説します!

坂東札所13番・浅草寺の歴史

(画像:境内にある浅草寺の縁起。浅草寺を中興した慈覚大師・円仁の姿)

浅草寺の起源は飛鳥時代の推古天皇36年(628年)まで遡りますが、奈良時代にはすでに朝廷の庇護を受ける寺院となっていたとされています。

平安時代に入ると坂東三十三観音霊場の第13番札所に数えられ、関東一円からの参詣者が増えていきます。また、天台座主三世の慈覚大師・円仁が中興すると、鎌倉時代には源頼朝が浅草寺を篤く信仰し堂宇の整備を行いました。

室町時代には足利氏の保護を受けさらなる発展を遂げると、江戸時代には徳川家康がブレーンである天海僧正の推挙によって浅草寺を江戸の祈願所と定め、幕府の庇護のもとで伽藍が整備されていきました。この頃には門前町が形成され、浅草は江戸の文化と娯楽の中心地、つまり江戸の盛り場として発展していったとされています。

明治23年(1890)には、浅草寺の西側に、日本初のエレベーターを備えた「凌雲閣」(通称「十二階」)という名の展望塔が建築され、世間の大きな注目を集めました。さらに、江戸時代に再建された本堂が国宝にも指定されましたが(1907年)、昭和20年(1945年)の東京大空襲により本堂や五重塔が焼失する大きな被害を受け、その後、復興により昭和33年(1958年)に本堂が再建され現在に至ります。

坂東札所13番・浅草寺の御本尊

(画像:境内にある浅草寺の縁起。ご本尊の聖観音菩薩を発見した時の様子)

浅草寺の御本尊は、聖観世音菩薩で、普段は公開されることがない秘仏となっています。聖観世音菩薩は、観音菩薩のもっとも基本的な姿で、苦難除去・現世利益・病気平癒・厄除け・開運などのご利益があるとされています。

寺伝によると、飛鳥時代の推古天皇36年(628年)、ある日、宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていた檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成兄弟が、網にかかった仏像を発見しました。しかし、仏像のことを知らなかった彼らは、何度もそれを川へ戻そうとしましたが、不思議なことに漁をするたびに同じ仏像が網にかかるばかりでした。

そこで、兄弟はこの尊像を持ち帰り、この土地の長に見せると、それが聖観世音菩薩の尊像であることが分かります。土地の長は、「この仏さまは、御名を称え、一心に願いを捧げれば必ず功徳を授けてくださる」と人々に説き、やがて自宅を寺に改め、一生をかけて観音さまをお祀りしたと伝えられています。

坂東札所13番や江戸三十三観音1番…いろんな呼び方がある浅草寺

ところで「浅草寺」の名で知られるこの寺院は、坂東札所13番や江戸三十三観音1番の寺院でもあります。「坂東札所」、「江戸三十三観音」とは、それぞれどのようなものなのでしょうか?

(1)坂東札所とは?

(画像:境内にある浅草寺の縁起。源頼朝の参詣の様子)

坂東札所は、関東地方に点在する三十三の観音霊場のことで坂東三十三ヶ所とも呼ばれます。西国三十三ヶ所・秩父三十四ケ所と合わせて日本百観音の1つに数えられ、由緒ある札所巡りの霊場として古くより親しまれてきました。

坂東札所は、平安時代の後期から鎌倉時代にかけて成立したとされ、特に鎌倉幕府の影響を受けて発展しました。その起源については諸説ありますが、鎌倉時代初期、観音信仰が厚かった源頼朝が整備したとも伝えられ、三十三ヶ所の中には頼朝ゆかりのお寺なども含まれています。

浅草寺は、坂東札所の13番目の札所にあたります。2023年に日本百観音の記念イベントが開催された際は、日本百観音のご住職たちが浅草寺に一同に会し、世界平和と疫病退散の祈願をする読経が行われました。

(2)江戸三十三観音とは?

江戸三十三観音は、江戸(東京)周辺の三十三ヶ所の観音霊場を巡る札所巡りです。浅草寺はその第1番札所に指定されており、巡礼の出発点としても重要な役割を果たしています。

江戸三十三観音は、江戸時代、 寛永18年(1641)から、元禄11年(1703)の間に開創されたとされています。江戸時代は日本百観音の霊場巡りが庶民の間にも広まり、それを模した霊場巡り(=写し霊場)が全国各地で生まれました。

坂東札所13番・浅草寺の見どころ

ここからは、坂東札所13番・浅草寺の見どころについて紹介します。浅草寺の入口から本堂の真裏まで、注目すべきスポットを余すことなく紹介していきます。

雷門

浅草寺のシンボルでもある雷門の正式名称は「風雷神門」。創建は、平安時代とも鎌倉時代とも言われますが、幕末の火事により焼失し、現在の姿は昭和35年(1960年)に再建されたものです。

松下電器(現パナソニック)の松下幸之助氏によって寄進され、大提灯にはその名が記されています。この大提灯は高さ3.9メートル、重さ約700キロと圧巻の大きさを誇ります。左右に安置されている風神・雷神の像は、悪霊を払い参拝者を守護するとされています。

 

また、雷門の風神・雷神像の裏側には、彫刻家・平櫛田中作の「天龍」と菅原安男作の「金龍」が祀られています。

仲見世通り

仲見世通りは、雷門から浅草寺本堂へと続く約250メートルの参道で、江戸時代から続く日本最古の商店街の一つです。

元禄年間(1688~1704年)には門前町として形成され、江戸庶民の賑わいの場となりました。現在も数多くの店舗が立ち並び、江戸風情を感じさせる和菓子や土産物、伝統工芸品が揃います。

かつては人形焼や雷おこしが浅草土産の名物でしたが、最近では外国人観光客向けに日本文化を象徴するグッズや和スイーツなどのお店も目立ちます。

宝蔵門

仲見世通りを進むと、堂々とした朱塗りの楼門「宝蔵門」が参拝者を迎えます。

この宝蔵門は、もともと「仁王門」と呼ばれ、平公雅が天慶5年(942)に建立したと伝わります。しかし、江戸時代には徳川家光の寄進で再建され庶民の信仰を集めましたが、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失。昭和39年(1964)に現在のものへと再建され、宝蔵門と改称されました。

門内には国の重要文化財「元版一切経」が納められ、左右には迫力ある仁王像が安置されています。また、背面には大きなわらじが掛けられ、厄除けの象徴とされています。

おみくじ

管理人が引いた浅草寺のおみくじ(100円)。オモテ面は難しくても、裏面では分かりやすくその意味を解説してくれています。この時はなんと「大吉」。残念ながら(?)「凶」ではありませんでした。

この浅草寺のおみくじは、「凶が出やすい」との噂がありますが、実際には伝統的な「観音百箋(ひゃくせん)」という方式に従っており、特別に凶の割合を増やしているわけでは無いようです。

これは中国の宋代に由来するとされ、100通りの運勢が書かれたくじを棒で引く形式を採用しています。実際には、凶・吉・末吉・半吉・小吉・末小吉・大吉の7種類あるそうですが、他の神社仏閣と比べ、凶の割合が高く感じるのは、浅草寺の伝統的なくじの比率によるものかもしれません。

浅草寺でおみくじを引く人たちは、逆にこのことをおもしろがって「凶を引いたら結びつけ、運気を上げる機会にする」という文化が根付いており、1つの楽しみ方として人気を集めています。

本堂(観音堂)

浅草寺の本堂は、ご本尊・聖観世音菩薩を奉安することから「観音堂」とも呼ばれます。最も長くご本尊を守ったのは、徳川家光が願主となり慶安2年(1649)に建立された本堂で、昭和20年(1945)の東京大空襲まで約300年間、信仰の中心として存続しました。

現在の本堂は、焼失後に全国の信徒の支援を受け昭和33年(1958)に再建されたものです。鉄筋コンクリート造りの堅牢な構造に加え、平成22年(2010)には安全性向上のため屋根を軽量のチタン瓦に改修されています。

五重塔

浅草寺の五重塔は、朱色が鮮やかな鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔で、昭和48年(1973)に再建されました。一見すると地上から建っているように見えますが、実際は基壇状の塔院の上にそびえています。塔の最上層には、スリランカ・イスルムニヤ寺院から奉戴された仏舎利が納められています。

 

浅草寺に最初の塔が建立されたのは天慶5年(942)で、当初は三重塔でした。江戸時代には五重塔と三重塔が並び立っていましたが、徳川家光の再建後は五重塔のみが残りました。ちなみにこの旧五重塔があった場所には、“旧五重塔跡”として石柱碑が残されています。

二尊仏

二尊仏は、宝蔵門から右側に安置されている聖観世音菩薩と勢至菩薩の二体の坐像を指します。これらは江戸時代・貞享4年(1687年)、日本橋の米問屋の番頭により奉納されたもの。聖観世音菩薩は、慈悲を象徴し人々の願いを受け止める存在とされ、勢至菩薩は智慧と悟りへ導く力を持つ仏様とされています。

影向堂

影向堂(ようこうどう)は、浅草寺本堂の北西に位置し、平成6年(1994)に再建された寄棟造りの堂宇です。

この建物は、浅草寺中興開山の慈覚大師円仁のご生誕1200年を記念して建立されました。「影向」とは、神仏が姿を現すことを意味し、影向堂には観世音菩薩を中心に八体の守り本尊が祀られています。

堂内は内陣と外陣に分かれ、内陣には聖観世音菩薩、千手観音、文殊菩薩などが並び、外陣には浅草名所七福神の大黒天も祀られています。また、影向堂は参拝証としてご本尊や大黒天の朱印が授与される場所でもあります。

 

境内には、元和4年(1618)に架設された石橋や青銅製の阿弥陀如来像、宝篋印塔などの貴重な文物も多く、歴史的価値が感じられる場所です。

 

淡島堂

(画像:淡島堂。右奥には花やしきのアトラクションも良く見える)

淡島堂は、元禄年間に紀伊国の加太淡島明神を勧請して建てられ、現在の浅草寺境内に位置します。もともと本堂が焼失した後、仮本堂として使用され、平成6年に現在の場所に移築されました。

淡島明神は女性の守り神として信仰され、特に江戸時代には「淡島の願人」が婦女子にその信仰を広めたとされています。堂内には、阿弥陀如来像、淡島明神像、虚空蔵菩薩像などが安置されています。

淡島堂では毎年2月8日に針供養会が行われ、信者たちが感謝の気持ちを込めて針を供養します。

二天門

二天門は、浅草寺の本堂東側に位置し、慶安2年(1649)に創建された朱塗りの門です。

当初は「随身門」として、守護神像が祀られていましたが、明治17年(1884)の神仏分離令により、守護神像は浅草神社へ移され、門の名称も「二天門」に改められました。現在の二天像は、昭和32年(1957)に寛永寺から奉納された持国天と増長天の像で、門の右側に持国天、左側に増長天が配置されています。

この門は江戸時代初期の建築として貴重で、国の重要文化財にも指定されています。平成22年(2010)には改修が行われ、創建当初の鮮やかな姿を取り戻しています。

一葉観音

浅草寺本堂裏にある「一葉観音」は、秩父札所32番・法性寺のご本尊を模して造られた観音像です。この像は、吉原の遊女が亡き息子を悼み、その願いによって建立されたと言われています。

ちなみに秩父札所は、番号札所と同じく日本百観音の1つです。秩父は、比較的、女性にとっても行きやすい場所であったことから江戸時代に多くの庶民が秩父札所巡りを楽しんだとされています。秩父が江戸の人々にとっても重要な場所であったことが感じられる仏像です。

(☞秩父札所32番・法性寺について詳しく知りたい方は、当サイト「秩父札所 第三十二番 般若山 法性寺」の記事でご確認いただけます。)

坂東札所13番・浅草寺のご利益

一言不動尊

その名の通り、なにか願い事1つを祈願すると、不動明王がその願いが叶えてくれる心願成就のご利益があるお不動様です。境内奥の薬師堂の近くに祀られています。不動明王は怒りの姿をしており、人々の迷いの心を断ち切ってくれる仏様とされています。

地蔵尊

影向堂の石橋を渡った場所の近くにある地蔵尊たちは、様々なご利益があるとされています。出世にご利益のある出世地蔵尊、商売繁盛にご利益のある商徳地蔵尊、子どもの育児にご利益のある子育て地蔵尊などがあり、様々な功徳を得ることができます。

 

坂東札所13番・浅草寺の御朱印

右から、山号である金龍山、御本尊である聖観世音(菩薩)、寺号である浅草寺の文字が記されています。

ちなみに山号とは、山号は寺の格式や歴史を示す重要な要素です。浅草寺には、観音さまが示現したその夜、一晩で千本の松が生え、三日後には金の鱗を持つ龍が天から降りてきたという伝説が伝わっています。この伝説から「金龍山」という山号が付けられたとされています。

ちなみに御朱印の授与は、浅草寺の本堂ではなく、境内の左奥側にある影向堂にて対応しています。

坂東札所13番・浅草寺の御詠歌

ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草に まいる身なれば

 

御詠歌とは、仏教の教えを5・7・5・7・7のリズムの和歌にしたものです。

この歌をそのまま意訳すると、“私が過去に犯した深い罪も、この先は、もう消えてしまっているでしょう。草を摘みに浅草へ、来たこの身なのだから“という意味です。

「つみ浅草に」の部分は、「罪」(つみ)と、(草を)「摘み」(つみ)をかけた言葉になっています。

坂東札所13番・浅草寺のイベント

毎月18日観音縁日
1月1日初詣
1月12日~18日温座秘法陀羅尼会
3月18日本尊示現会
7月9日/10日四万六千日(ほおずき市)
10月18日菊供養会
10月29日写経供養会
12月18日納めの観音

 

四万六千日(ほおずき市)

毎年7月9日・10日、浅草寺で開催される「ほおずき市」は、江戸時代から続く伝統の縁日。特に10日は「四万六千日」と呼ばれ、この日に参拝すると一生分の功徳が得られるとされています。

このほおずき市の起源は18世紀に遡り、元々は病気平癒の願掛けとして広まりました。現在ではお盆飾りとしても人気。さらに、雷除けのお守り「雷除札」も授与され、無病息災を願う多くの人々で賑わいます。

浅草寺の境内には数多くの露店が出て、ほおずきも購入することができます。

坂東札所13番・浅草寺へのアクセス/基本情報

基本情報

宗派聖観音宗(本山)
本尊聖観世音菩薩
住所東京都台東区浅草2丁目3−1
納経時間8時~16時30分
アクセス浅草駅(東武スカイツリーライン/東京メトロ銀座線)より徒歩5分
浅草寺 公式HPhttps://www.senso-ji.jp/

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