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三蔵法師ゆかりの地?坂東札所12番 華林山・慈恩寺、見どころや歴史を詳しく解説

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●「慈恩寺の玄奘塔って『西遊記』の三蔵法師とどういう関係があるの?」
●「慈恩寺の歴史や見どころについて詳しく知りたい!」
●「慈恩寺にはどんなご利益があるの?パワースポットとしての慈恩寺の魅力ついて知りたい!」

この記事はそんな方へ向けて書いています。

坂東三十三ヶ所12番目の札所である華林山・慈恩寺は、埼玉県岩槻にある天台宗のお寺です。古くから栄えた大寺で、境内から少し離れた場所には、あの『西遊記』で知られる三蔵法師の遺骨の一部が安置されているという玄奘塔を有しています。

そこでこの記事では、あらためて慈恩寺の歴史や魅力を伝えるべく、慈恩寺の見どころを画像付きで詳しく解説しています。春の季節には、桜並木や藤の花が美しく咲く観光スポットとしも知られる慈恩寺。この記事を読むことで、慈恩寺への参拝をもっと楽しむことができますよ♪

管理人
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秩父札所巡りお先達の当サイト管理人が、実際に慈恩寺に行った際に撮影した画像と共に解説します!

坂東札所12番・慈恩寺の歴史

(画像:観音霊験記より)

慈恩寺は、正式には「華林山 最上院 慈恩寺」と言います。天台宗の古刹で、天長元年(824年)に慈覚大師・円仁によって開かれました。

この円仁は、東日本に天台宗を広めた高僧であり、唐の長安で学んだ「大慈恩寺」にちなんで、この寺の名をつけたと伝えられています。江戸時代後期に出版された『観音霊験記』(※)には、円仁が慈恩寺を開山する際のエピソードや、当時の慈恩寺のイラストが描かれています。

境内は日光御成街道沿いにあることから、かつては徳川家康公に参拝した将軍たちも多くこの慈恩寺に参拝に立ち寄ったと言われています。そして、徳川家康から寺領100石を拝領し、地域を代表する有力寺院として栄えました。

かつての大寺院の面影は江戸時代以降の火災などにより失われましたが、開放的な境内に佇む大屋根の本堂は、現在も堂々たる風格を醸しています。

(※)西国・坂東・秩父の百観音霊場を題材にした錦絵。詳しくは『水田美術館「浮世絵で巡る秩父札所~観音霊験記秩父巡礼~」に行ってきた』の記事でお調べください。

坂東札所12番・慈恩寺の御本尊

慈恩寺の御本尊は、千手観音菩薩で秘仏となっています。

慈恩寺を開創したと伝えられる円仁の由来の御本尊は、火災によって消失し、現在の御本尊は江戸時代に天台宗の総本山・比叡山から移されたものとされています。

この御本尊の招来に関わったのが、上野・寛永寺を開創したとされる天海僧正です。天海僧正は徳川家康の側近として江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した人物でもあり、この天海僧正との関りあるエピソードからも当時の慈恩寺の隆盛を感じることができます。

坂東札所12番・慈恩寺の見どころ

ここからは慈恩寺の見どころについて紹介していきます。慈恩寺の境内にある仏跡やその歴史について、注目すべきポイントをおさえておきましょう。

山門

立派な山門は、江戸時代初期の元禄4年(1691年)の建立。境内の西側にひっそりと建つ山門ですが、その風格は堂々たるものです。慈恩寺の境内の周囲には塀などが無いため、多くの人はこの山門に気づくことなく境内に入ってしまいます。

開放的な境内

慈恩寺は、境内の周囲に塀や生垣などがないため、とても開放的な印象があります。

本堂

入母屋造りの大屋根が印象的な本堂は、文政10年(1827年)の火災により、天保14年(1843年)に再建され、その後改修されたものです。

目が覚めるような朱色と黄金色が印象的な本堂内部は、御前立の千手観音像、脇侍を固める不動明王と毘沙門天、そして前方には二十八部衆の像がズラリと並んでいます。

二十八部衆

(画像:ガラス越しにちらりと映るのは、堂内の二十八部衆の像のうちの1つ・毘楼博叉)

二十八部衆とは、千手観音菩薩にお仕えしている28の眷属(けんぞく)=従者のことです。28の神々の名は以下の通り。那羅延堅固(ならえんけんご)、難陀龍王(なんだりゅうおう)、摩睺羅(まごら)、緊那羅(きんなら)、迦楼羅(かるら)、乾闥婆(けんだつば)、毘舎闍(びしゃじゃ)、散支大将(さんしたいしょう)、満善車鉢(まんぜんしゃはつ)、摩尼跋陀羅(まにばだら)、毘沙門天(びしゃもんてん)、提頭頼吒王(だいずらたおう)、婆藪仙(ばすせん)、大弁功徳天(だいべんくどくてん)、帝釈天王(たいしゃくてんおう)、大梵天王(だいぼんてんおう)、毘楼勒叉(びるろくしゃ)、毘楼博叉(びるばくしゃ)、薩遮摩和羅(さしゃまわら)、五部浄居(ごぶじょうご)、金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)、神母女金毘羅(こんぴら)、畢婆伽羅(ひばから)、阿修羅(あしゅら)、伊鉢羅(いはつら)、娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)、密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)。

繊細な欄間の彫刻

本堂の欄間には、七福神・鳳凰・孔雀など繊細な彫刻が施されています。

南蛮鉄灯篭

本堂の正面脇に立つ南蛮鉄灯篭は、天正17年(1589年)に造立されたものです。岩槻城主である北条氏房の家臣・伊達房実が慈恩寺に寄進したものとされ、岩槻城の安泰などを願った銘文も刻まれています。

この南蛮鉄灯篭は、その名の通り、当時、南蛮と呼ばれたタイ・フィリピン・ジャワ島などの東南アジア製の鉄で作られた灯篭で、現在はさいたま市の文化財にもなっています。

阿弥陀如来坐像

宝永7年(1710年)造立の阿弥陀如来像。こちらは鋳物製。ちなみに鉄と鋳物では、含まれる炭素の含有量に違いがあります。鋳物にも鉄の成分が含まれていますが、鉄の方がその含有量が多く、硬さも鉄の方が丈夫です。

おびんずる様

慈恩寺の本堂入口には、おびんずる様が祀られています。この「おびんずる様」は、釈迦の弟子・賓頭盧尊(びんずるそん)で、十六羅漢の一人です。“なで仏”としても知られ、身体の病んでいる部位をなでると、その部位の病が治ると伝えられています。

開山堂

本堂の西側にある開山堂には、慈覚大師の像が祀られています。「開山堂(かいさんどう)」とは、その寺院を開山した(寺院を開いた)祖師を祀った堂舎のことを言います。

聖徳太子堂

山門近くにある聖徳太子堂。内部には聖徳太子の石像が祀られています。聖徳太子堂とは聖徳太子を祀るお堂で、太子堂とも言われています。聖徳太子は、日本に仏教を広めた聖人とされ、その信仰は地方の風習とも融合し、多様な形で現代まで受け継がれています。

忠魂碑

太子堂の脇に並ぶ2つの大きな忠魂碑。画像左側の忠魂碑は、支那事変(1937年)から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る戦没者を慰霊し、その功績を後世に伝えるために建立されました。戦後、占領下では慰霊が制限されましたが、日本の独立後、村民の協力により昭和29年に建立されたものとされています。

また、画像右側の忠魂碑は、明治45年に建立されたもので、明治37年の日露戦争の戦没者を入れするものです。

藤棚

境内西側にある藤棚。春には藤の花が綺麗に咲き誇ります。

 

三蔵法師ゆかりの「玄奘塔」とは?

ここからは慈恩寺の本堂から300mほど離れた場所にある玄奘塔について紹介します。玄奘塔は、あの『西遊記』にも登場する三蔵法師のゆかりの場所でもあります。『西遊記』って伝説のお話じゃないの?そもそも三蔵法師って誰?という方にも分かりやすく解説いたします。

慈恩寺の玄奘塔とは?そもそも三蔵法師って誰?

「玄奘塔(げんじょうとう)」は、『西遊記』で知られる三蔵法師・玄奘の霊骨が納められた十三重の塔のことです。高さは約18mで、東武鉄道の社長・根津氏の寄進による花崗岩で建立されました。1942年に南京で発見された玄奘の遺骨の一部が日本に分骨され、この塔に安置されました。

ちなみに猿の孫悟空が登場することでも有名な『西遊記』は、中国で昔から語り継がれてきた物語です。お坊さんの三蔵法師が仲間とともに天竺(インド)へお経を取りに行く冒険を描いたストーリーですが、登場人物の三蔵法師のモデルとなった玄奘は、中国唐の時代に活躍した実在の人物でした。

玄奘塔への参道

玄奘塔は、慈恩寺の境内から300mほど離れた場所にあります。初めて訪れる人にとっては少しわかりずらい場所にありますが、慈恩寺の境内近くには大きな文字で“玄奘塔参道入口”と書いた細い道があるので、そこを通って玄奘塔に向かいましょう。

 

玄奘塔に向かう道中には、のどかな田園風景が広がっています。

玄奘塔

玄奘の分骨が納められているという玄奘塔は、約18mもの高さがある十三重の石塔。中国風の朱塗りの門の奥にそびえ立っています。

玄奘三蔵天竺救法像

三蔵法師・玄奘の像です。玄奘は経典をぎっしり積み込んだ笈(いぶく)を背負っていたとされています。彼は中国・唐の時代、仏教の本場であるインド(天竺)で教えを学ぶため、当時は禁じられていた国境を越え、16年以上かけてインドを旅しました。そして現地から多くの経典を持ち帰り、中国語に翻訳することで仏教の発展に大きく貢献しました。この壮大な旅が後に『西遊記』の物語となり、孫悟空たちと妖怪退治をしながら旅をする姿で広まりました。

大摩尼車

“摩尼車(まにぐるま)”は、円筒形の容器に経文が納められているもので、一回りさせると経文を一通り読み終えたのと同じ功徳があるとされています。玄奘塔の脇にある『大摩尼車』は、お釈迦様の生誕の地・ネパールで、三蔵法師1350年御遠忌を記念して製作されました。

元亀

「元亀(げんき)」と呼ばれる亀の石像。元亀は、古代中国の占卜に用いられた大きな亀を意味しています。

茶寮 余白坊

玄奘塔の敷地内には、手作りの石窯で焼き上げる絶品ピッツァが魅力の 「余白坊」があります。おかわり自由の特製スープやデザート付きのセットメニューで、特別な時間を楽しむことができます。ただし、完全予約制。(☞詳しくは余白坊の公式ホームページで)

坂東札所12番・慈恩寺のご利益

慈恩寺の御本尊である千手観音菩薩は、現世利益が得られるとされ、古くから多くの人々に親しまれてきました。

その中でも、特に、夫婦円満・家内安全・子宝などの御利益があるとされており、毎年の秋の大祭にはその年に結婚した女性がその姑と共に参詣する風習が伝えられています。

坂東札所12番・慈恩寺の御朱印

画像は、慈恩寺の御朱印です。右は「奉拝 武州岩槻」、中央に「華林山 慈恩寺」、左は参拝日に「執事」と記されています。

「奉拝」はお寺へ参拝することを意味し、最近の御朱印ではよく記されているのを見かけます。「武州」とはかつての武蔵国の別名で、現在の東京都や埼玉県の大部分のことを指します。「華林山」は慈恩寺の山号、そして「執事」は寺院の運営に従事する役職のことです。

坂東札所12番・慈恩寺の御詠歌

慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや うかぶ夏島を 見るにつけても

この御詠歌は、慈恩寺への参拝を通じて得られる安心感や救いを詠んでいます。

「夏島」とは、海に浮かぶ島のことで、揺れ動く波の上にあっても静かに佇む姿が、信仰による心の拠り所を象徴していると考えられます。

世の無常や人生の不安を抱えながらも、慈恩寺を訪れることで心が落ち着き、未来への希望を見出している気持ちを歌っているのではないでしょうか。

 

坂東札所12番・慈恩寺のイベント

1月1日~3日初詣・正月大護摩供
1月15日お焚き上げ
2月5日玄奘忌
5月5日玄奘祭
9月9・10日こ四万六千日
11月16日・17日秋大祭

 

坂東札所12番・慈恩寺へのアクセス/基本情報

基本情報

宗派天台宗
本尊千手観世音菩薩
住所埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139
納経時間AM8時~PM4時30分
無料駐車場あり
アクセス東武アーバンパ―クライン(東武野田線)「豊春」駅から徒歩で約40分
公式HPhttp://www.jionji.com/

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